ヨシュアは、ヨシュア記の時代の人物とは別人物で、帰還の民の中にあって大祭司として、宗教的なリーダーシップを取ることを期待されていた人物です。ところが、ゼカリヤが見せられていた幻においては、本来、聖なる衣装を着て、誰よりも清い姿で主に仕えるべきヨシュアが汚れた衣を着て立っているという状景でした。まさにヨシュアは燃え輝く姿であるべきだったのに、燃えさしのように、主の御前に立っているというのです。しかし、主は自ら命じて、彼から汚れた衣を取り除き、それを脱がせて、晴れ着を着せ、清いターバンをつけさせて主の御用に当たらせてくださったのです。清いターバンには、「主に聖なる者」と刻んだ銘板がつけられていました。ヨシュアはまさに、きよい器へと変えられたのです。
主は私たちの汚れをも取り除き、聖なるものとして、主の御前に仕えさせてくださいます。主にすがり信頼しつつ仕えさせていただきましょう。