ゼファニヤは主の裁きの日が来る前に、主を求めるようにと勧めます。主を求めるというのは単に、犠牲の動物をささげるとか、宗教的な活動に加わるということでっはありません。主の言葉に従い、義を求め、謙遜を求めて生きるということです。
ゼファニヤは南ユダ王国の民だけに語っているのではありません。ガザ、アシュケロン、アシュドド、エクロンはイスラエルの南西部、地中海に面したペリシテ人たち、モアブやアンモンはヨルダン川の東側にあった国、クシュは南エジプトにあった国です。主はイスラエルだけではなく全地の王なるお方なのです。南ユダ王国が滅びるときに、イスラエルの民を罵った人々は必ず、その裁きを負わなければなりません。それらの国々も荒れ果てるようになります。しかし、そんな中で、主は背いて滅ぼされたイスラエエルの民をもう一度回復し、栄えさせてくださいます。もう一度逆転が起ころうとしていました。