アモスが見た第四の幻は、一かごの夏の果物の幻でした。「夏の果物」はヘブル語でカイツ、それを「終わり」をあらわす言葉ケーツと語呂合わせしています。終わりの日、主の裁きの日が近づいていました。人々は安息日を守っていなかったわけではなく、祭をしていなかったわけではありません。しかし、彼らの礼拝には心がこもっていませんでした。早く安息日が終わって商売をしたいと思いを巡らし、どのように分からないように不正をして儲けようかと考えているのです。
主は終わりの日、裁きの時には、飢えが起こると、アモスを通して語られます。確かに雨が降らなくて、干魃になったり、飢饉になることもしばしばあったのですが、この終わりの時の飢えはもっと深刻なものでした。それは御言葉を聞くことへの飢え渇きです。御言葉を求めても与えられないのです。人々はアモスの言葉を煙たがっていたかもしれません。しかし主の言葉を拒んでいる内に本当に聞くことができなくなってしまうのです。