神は北イスラエル王国の背きにも関わらず、それでもなお、彼らを癒そうとされました。しかし、イスラエルの民は罪を犯し続け、悪を行いながらも、それを意に介しませんでした。彼らは悪を行うことを喜びとし、主を呼び求めようとしません。彼らは高ぶり、また主に信頼して、主に助けを求めるのではなく、エジプトに助けを求めたり、アッシリアにすがったりしました。
主はそのような北イスラエル王国(その中心はエフライム族)に裁きを告げられます。彼らは全く主を礼拝していないというわけではありません。少なくとも形としては主に向かって叫んでいるようなポーズをとりますし、また収穫の時期には祭を祝うこともあったでしょう。けれども、彼らはその恵みを与えてくださった主に対して背を向け続けていました。彼らは悪事をたくらみ、主を拒んだのです。私たちの礼拝や信仰の歩みは、主の御前に真実なものとなっているでしょうか。