神はイスラエルの民がエジプトで奴隷であったところから、イスラエルの民を贖い出し、奴隷から自由にして、主の聖なる民とし、主の宝の民として立たせてくださいました。統一王国が北王国イスラエルと、南王国ユダに分かれたときにも、主は決して、南王国だけを愛し、南王国だけを正義として認められたのではありません。ダビデの子ソロモンが晩年、主に背いていく中で、主は十部族をヤロブアムに委ねて治めさせられたのです。しかし、ヤロブアムとその子たちも、また後に王権を委ねられた人たちも、主に期待されていたと思います。しかし彼らは背き続け、彼らを救われた主を捨てて、偶像の神々を拝むようになったのです。
「この地には真実も慈しみもなく神を知ることもない」と神は告発されます。主に愛され、主との契約の中に生きる者であるなら、主の御前に真実に生きるべきでした。しかし、彼らは主を拒み、主が彼らを招いてくださっている、その豊かな交わりから離れていったのです。