主はイスラエルの民を羊飼いのいない羊のようにごらんになっています。羊飼いがいないのではありません。羊飼いとして立てられて、人々のために仕えるように召されている人たちが、その責任を果たさないで、自分のことばかり考えているのです。その結果、人々はさまよい、傷つき、また病んでいます。
主は自ら羊の群れを養うと宣言されます。主は失われたものを捜し求め、散らされたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病めるものを力づけてくださいます。神である主ご自身が私たちの羊飼いとして立ち上がってくださったのです。
そして主は、一人の牧者を立てると約束されます。そして、やがて、主イエスはよい羊飼いとしてこの世に来てくださいました。主は私たちを憐れみ、また私たちが豊かに生きるために、自らの命を差し出してくださいました。そして、このよい羊飼いに導かれ、養われて、私たちは豊かな命に生きるのです。