神の裁きがイスラエルに臨もうとしていました。そのような中で、神はエゼキエルに見張り人の務めを託されます。危機が迫ってくるの中で、そのことを知った見張り人は危機が迫っていることを人々に知らせ、とるべき行動を示さなければなりません。もし警告しても、その警告を無視し、聞こうとしないなら、その責任は聞いた本人が負うことになります。しかし、危機が迫っているにもかかわらず、そのことを人々に知らせなかったとしたら、見張り人が責任を問われます。私たちの果たすべき責任思います。主は決して人々が滅びることを願っておられるのではありません。厳しい裁きが臨もうとしている中にあっても、主が願っておられることは人々が悔い改め、立ち帰って生きることなのです。
さて、ついに、エゼキエルたちが捕囚になって十二年目の十二月五日、エルサレム陥落のニュースが捕らえられてバビロンにいたエゼキエルたちのもとに届きました。エルサレムの人々はどこまでも主に立ち帰ることを拒んだのです。