ティルスの君主は、ティルスの繁栄を誇り、その心におごり高ぶって「私は神だ」と言っていました。確かに昔の王たちの中には、自分を神格化することによって、自分の地位を確かなものにしようとする人々もいたことでしょう。けれども、自分を神にするということは、まさに罪の本質であり、究極の姿だとも言えます。
ティルスの王がどれだけ栄えていたとしても、彼は神ではありません。神はティルスに対する裁きを告げられたのでした。
続いて、エゼキエルはシドンに対する神の裁きをも告げます。シドンはティルスの北にある地中海に面した町でした。シドンにも非常に栄えた王国がありました。しかしシドンもまた滅びようとしていました。
しかし、それに続いて、エゼキエルはイスラエルの民の帰還とエルサレムの回復を告げられます。そしてエルサレムの回復は、確かに神である主がおられることを人々に知らしめたのでした。