ヨヤキン王と共に、捕囚の民たちがバビロンに捕らえ移されてから第九年の十月十日、バビロンの王はエルサレムを包囲しました。滅亡まであと二~三年という時です。エゼキエルはエルサレムを鍋にたとえ、その地の人々を鍋の肉にたとえて、その地に滅びが迫っていることを語りました。主は本当はイスラエルを汚れから清めたいと願っておられました。しかし、イスラエルの民はそのことをよしとしなかったのです。
エゼキエルはエルサレムの滅びを語ります。捕囚の民たちは皆、エルサレムに家族・親族や多くの友人知人たちがいたことでしょう。しかし、彼らにも滅びが迫っていました。エゼキエルは近づいてくる嘆きの日を、主が自分の妻を取り去られるという悲しみの中で語らなければなりませんでした。預言者は淡々と平気な顔で滅びを語っているのではありません。イスラエルに臨もうとしていた大きな悲しみをエゼキエル自身も自分の痛みとして負いつつ語ったのです。