オホラとオホリバのたとえ話が語られます。オホラはサマリヤを首都とする北イスラエル王国、オホリバはエルサレムを首都とする南ユダ王国を示しています。北王国イスラエルは自分たちの罪を悔い改めて主にすがるのではなく、アッシリアに近づくことによって国の存続を図ろうとしましたが、結局はアッシリアに滅ぼされ、捕らえ移されてしまいます。
南ユダ王国は、そんな北王国の姿を見て、自分たちの罪を悔い改め、主に立ち帰るべきでした。しかし、彼らはかえってますます罪にふけり、アッシリアやバビロンに近づいていきました。南王国ユダにも滅びが迫っていました。
ここでイスラエルの姿を姦淫、淫行とエゼキエルは言います。本来はイスラエルは神に贖われ、神のものとされ、神に愛されていたのですから、神を愛して生きるべきでした。この主なる神以外にすがって生きるのはまさに浮気だったのです。