裁きの日が近づいています。エルサレムは流血の町です。その町においては罪のない人の血が流されてきました。偶像礼拝が行われ、弱い立場の人々が苦しめられ、安息日が汚され、性的な不道徳が蔓延し、賄賂が横行し、金持ちたちは法外な利息を取っていました。祭司たちは正しく神の言葉を教えることをせず、高官たちは不正の利益を求め、預言者たちは偽りを語り、占いをしています。指導者たちがそのようですから、民全体も、苦しむ人・貧しい人・立場の弱い人を苦しめたのでした。
主はそのような中で、民の中に、破れ目に立って、この国を滅びないようにとりなす人を求め、探されました。主は本当に、それでも憐れみを注ぎたいと願っておられたのです。しかし、そのような人はどこにもいなかったのでした。今もそうです。主は破れ目に立って、主の御前に祈りとりなす人を探し求めておられます。私たちもそのようなとりなし手として仕えるべきなのではないでしょうか。