ヨヤキン王がバビロンに捕らえ移されて七年目、エルサレム陥落まであと4~5年という頃、捕囚の地にある自分たちのこと、また遠い故郷エルサレムの行く末のことを心配して、捕囚の民の中の長老たちがエゼキエルの所に、主の言葉を聞こうとやってきました。
主はエゼキエルを通して、イスラエルの民がエジプトから救い出された時からの歴史を振り返っていきます。主はイスラエルの神としてご自身をあらわし、律法を与えて、彼らがどのように生きるべきなのかを示されました。
しかし、イスラエルの民は主に背き続け、偶像を拝み、悪を行いました。神の怒りが注がれようとしていました。ただ同時に、このところで、エゼキエルは、イスラエルの民が偶像を離れ、皆、こぞって主に仕える日が来ることを語ります。全地に散らされてしまう民がまた再び集められ、確かに、主なる神をただたひとりの神としてあがめるようになるのです。