イスラエルはしばしばぶどうの木にたとえられました。ぶどうはイスラエルの主要な農産物のひとつだったのです。ぶどうはある意味、とても手のかかる植物です。しかし、きちんと手を入れれば豊かな収穫を期待できます。またイスラエルの乾燥した気候もぶどうの生育に適しているのだと思います。
ただぶどうの木というのはぶどうの実を結ばなければ何の役にもたちません。板材にもなりませんし、木釘を作ることもできません。火にくべて燃やすのがせいぜいです。
イスラエルも神が願っておられるような歩みをすることをせず、裁きの火の中にくべられようとしていました。背信の罪を犯したイスラエルは滅びようとしていました。それは単に、裁きのための裁きということではありません。イスラエルの民は厳しい裁きの中で、このことをなさるのが主であることを知ることになります。主はイスラエルが悔い改めることを願っておられたのです。