エルサレムに滅びが臨み、非常に悲惨な状況がそこに起こりました。剣で死ぬ者も多くいたのですが、バビロンの軍に包囲される中で、飢え死にする人々も多くいたようです。憐れみ深い女さえも、その苦しみの中で、自分の子どもを煮炊きして食物にするということが起こります。この哀歌の作者はその悲惨な状況が神の裁きであり、またイスラエルの罪に対する神の燃える怒りであり、憤りの結果であることを知っていたのです。預言者たちや祭司たちのように、主に仕えるべき人々までもが正しい人たちの血を流していたのです。イスラエルは主に選ばれた民でしたが、神に背き、汚れきっていました。だから滅んだのです。
しかし、同時に、この哀歌の作者は、エルサレム(シオン)に対して、あなたへの罰は終わった、と語ります。確かにイスラエルは罪を犯し、エルサレムは廃墟となり、多くの民が死に、また捕囚としてバビロンに連れて行かれました。しかし、なお主は憐れんでくださる。永遠に怒り続けることはない。罰は終わり、捕囚からの帰還も起こる。主の憐れみが注がれようとしていました。