この哀歌の作者は大きな嘆きの中にあります。骨も肉も皮膚も痛めつけられ、多くの辛苦の中に閉じ込められているように感じています。まるで自分が的にされ、多くの矢が自分に向かって射られているかのようです。人々は自分を笑いものにし、嘲っています。神にも見捨てられ希望もなくなってしまったように感じます。
しかし、そのような中で、この作者はなお、主を仰ぎ、主にすがります。苦しみと嘆きの中でも主を待ち望みます。主はどこまでも憐れみ深く、また変わることのないご真実を持っておられる。主は朝ごとに新しい恵みと真実をもって答えてくださる。主がずっと拒み続けられることはない。
そして、そのような信頼の祈りに対して、大きな苦難と困難の中にあって、またそれがイスラエルの罪に起因するものであったとしても、主は答え、「恐れるな」と声をかけてくださったという経験をしていくのです。