エレミヤは結婚しないように語られます。エルサレムが滅びるという預言が本当であることをエレミヤは自分の実存をかけて語らなければならなかったのです。イスラエルの民は他の神々に仕え、主を捨て、その律法を守りませんでした。明らかに滅びが迫っていました。
しかし同時に、主は回復を語られます。イスラエルの民がエジプトで奴隷であったところから救い出されたように、捕囚の民として捕らえ移されたバビロンの地から解放されて戻ってくる時が来るのです。あのエジプトで奴隷だった民が自由にされるということもびっくりするようなことでしたが、バビロンに捕囚の民として連れて行かれた者たちがバビロンから救い出されて帰ってくるということもまず考えられないことです。しかし、主はそのことをしてくださいます。イスラエルの民は主がどんなに大きな力を持っておられるか、自分たちの神なるお方がどんなに大きなお方であるかを知るようになるのです。