エルサレムに対する裁きはもはや避けられないものになっていました。イスラエルは主に背き、主を捨てたのです。苦しみと恐怖が臨もうとしていました。
ただイスラエルの罪と、その結果としての神の裁き、臨もうとしている滅びについて語るのはエレミヤだけでした。大丈夫、神は救ってくださると、悔い改め抜きの安易な救いを語る預言者ばかりであり、実はそのような景気のよい、元気が出る預言をする預言者の方が人気がありました。エレミヤのように泣きながら、滅びを語る預言者は煙たがられ、国中から疎まれていました。
そのような中で、エレミヤも自分の与えられている召しに生きることがつらくなることがあったのだと思います。そしてエレミヤ自身もやってられないという気持ちから、無価値なことを語ってしまうということがあったようです。そのような中でエレミヤ自身が神のもとに立ち返ることが必要でした。そして主は「私があなたと共にいてあなたを救う」と召命の時の約束をもう一度再確認してくださったのでした。