エレミヤの時代の預言者たちは、「剣も飢饉も疫病も来ない。ただ平和がある」と告げました。それは一見信仰的な言葉のように聞こえます。彼らは主は守り、祝福し、平和を与えてくださると語るのです。しかし、彼らは主から遣わされたのではなく、主が彼らに御言葉を与えられたのでもありませんでした。
エレミヤは飢饉を語り、飢饉の中で悔い改めるべきことを語りました。エレミヤは決して、イスラエルの民を断罪しているのではありません。確かに彼らの罪を指摘します。しかし同時に、「私たちを見捨てないでください」と罪深い民の中に立って、神の御前に悔い改め、赦しを乞い求めているのです。エレミヤは民に対して裁きを告げ、彼らを見下げながら嘲笑しているのではありません。エレミヤは泣いています。民に迫って来る滅びを思いながら、エレミヤはただただ泣いています。そして泣きながら主を待ち望むのです。