エレミヤは時に戸惑いを感じています。エレミヤは主に御言葉を与えられ、真実に歩んでいるにも関わらず、大きな苦難の中にありました。そしていつも涙を流しながら歩んでいる。それなのに、主に背いて自分勝手に歩んでいる人たちが栄えているのは何でだろうか。結論はわかっている。神がなさることはいつも正しい。けれども、エレミヤは、神のなさることを理解できないでいるのです。
ただ同時に、主に背き、主のご期待を裏切り続けて歩む者に対して必ず裁きが臨むこともエレミヤは理解しています。そして明らかにエレミヤの時代の南ユダ王国には滅びが迫っていました。そして、エレミヤはそのように滅ぼされるユダの国を、主が全く見捨て、そして滅ぼし尽くそうとしておられるのではないことも知っています。主は民が悔い改める時に、イスラエルに回復が与えられ、もう一度、再興されることも知っているのです。主はどこまでも憐れみ深く、真実な方だからです。