エレミヤ9章

誇る者はただこのことを誇れ。
悟りを得て、私を知ることを。
私こそ主、この地に慈しみと公正と正義を行う者。
これらのことを私は喜ぶ――主の仰せ。(23)

 イスラエルの民の背きのゆえにエルサレムに滅びが迫っていました。エレミヤはそのことを思いながらさめざめと涙を流しましたが、それは主の嘆きを映し出すものでもありました。主は決して、イスラエルを見捨て、滅ぼすことを冷徹な顔で行っておられたのではありません。主はイスラエルの民が悔い改めて、御前に聖なる民として生きることを願っておられました。ですから、主の義が行われ、エルサレムに住む人々が殺され、多くの苦しみの中で捕囚となり、その麗しい都が廃墟になるなど願ってはおられません。だから主も嘆かれるのです。しかし、そのような主の御思いを踏みにじるように、民は平気で罪を犯し続けます。それでありながら、彼らは自分を誇り、自分の知恵を誇り続けます。イスラエルの民が、自分の知恵や、自分の力、自分の富を誇るのを止め、主を誇り、その慈しみと公正と正義に生きることを主は期待しておられるのです。