預言者たちはしばしば偶像礼拝を姦淫の罪になぞらえました。それは、主なる神がイスラエルを選び、愛して、そのすばらしい契約の中に入れて下さったのに、その主の愛を裏切って他の神々にすがることだからです。しかも偶像と主なる神とを比べるなど全くもってナンセンスです。しかし、イスラエルは主に背き、主を捨てたのです。
イスラエルはとっくに滅ぼされていて当然だと思います。しかし、にも関わらず、主はなおもイスラエルに対して「立ち帰れ」と呼びかけられます。まさに悔い改め、向きを変えて主なる神の方に帰ってくるようにと主は招かれます。そして、主はイスラエエルの「背信を癒そう」と、なおもゆるしを約束されるのです。
エレミヤはイスラエルの民が本当に砕かれ、自分の罪を認めて、主の前に戻って来ることを期待しています。エレミヤ自身もイスラエルの癒しと回復を心から願っていたからです。