イザヤの祈りが続きます。主は私たちの思い願うところを超え、私たちの想像を超えて働いてくださるお方です。そして、主は確かにご自身を待ち望む者に事をなしてくださるのです。今までもそうでしたし、イザヤは主はこれからもそのようなお方であることを信頼しています。
ただ、同時にイザヤは、イスラエルの民が罪を犯し、神の御前に立ち得ないこと、その罪と背きのゆえに滅びの中に置かれることを知っています。エルサレムは荒廃し、見る影もなくなる。そして、主はそのような中で沈黙しておられるとしか思えないのです。
しかし、イザヤはそのような中にあっても主に叫び求め、祈りをささげます。主こそが自分たちの父、自分たちをを造り、これからも造り上げてくださる方です。その意味でも、自分たちはそのような破れの中にあっても主にすがるしかないのです。