確かに主がイスラエルの民をご自身の民として選ばれたということは本当のことです。イスラエルの背きと罪にも関わらず、主はイスラエルを全く見捨てられることはなかったのです。しかし、それは主がイスラエル以外の民族をどうでもよいとされているのではありません。主はイスラエルの民が主の栄光をあらわすことによって、世界中の民を救おうとしておられたのです。
ですから主は語られます。それは主が思い、願い、しようとしておられることです。すべての民が主の家にやってきて、主に祈るようになるのです。「私の祈りの家」と主はおっしゃいました。主はどんな国の民であっても、主の御前に祈る時にその祈りを聞いて、祈りに答えてくださいます。私たちもそうです。私たちも主の招きに加えられました。主の救いにあずかり、主の民に加えられ、主に祈るためです。主は世界中の民が主の御前に集い、共に祈ることを心から喜んでくださいます。