ベルやネボはバビロンの神でした。これらの神々はバビロンの最高神としてあがめられていました。しかし、やがて、バビロンが滅びるときには、それらの神々が分解されて持ち運ばれていきます。それらの神々は逃げる人たちの荷物でしかないのです。
しかし本当の神は、私たちが持ち運ばないといけない神ではなく、私たちを持ち運んでくださるお方です。神はイスラエルの民が母の胎を出た時から、イスラエルを担い、負い続けて下さいました。主はイスラエルを担い続け、贖い、救い出し、ずっと担い続けてくださるのです。
ここでは「私」という言葉が繰り返されます。とても強い言葉です。「私」と語られる神が、私たちの命の日の限り私たちを負い続けて下さるということに私たちの救いの土台がありますし、私たちの平安の出所があるのす。