イザヤ書の前半部の最後になります。イザヤはここまでイスラエルの罪について語り、そこに神の裁きが臨もうとしていることを語ってきました。主が求めておられたのは主なる神に信頼することであるのに、そのことを拒み続けたからです。具体的にはイスラエルはバビロンに滅ぼされ、民は捕囚となって引いて行かれることになっていました。遠いバビロンの捕囚となり、その支配下で暮らすようになれば、常識的に考えると、もうエルサレムに戻って来るとか、民族としてのイスラエルを保持するとかはとても難しくなってしまいます。
しかし、ここで神はイザヤに、「主に贖い出された者たちは帰って来る」と告げます。バビロンからエルサレムまで大路が敷かれて、イスラエルの民は意気揚々と帰ってくるのです。そして確かに歴史上でもそこのことが起こりました。それだけではありません。主は私たちが主の許に帰ってくるために確かに大路を敷いてくださったのです。