この十二章は、ここまでの一~十一章のまとめとも言えます。神に信頼することなく、不正を行い、偶像にすがるようなイスラエルの民は神の裁きに向き合わなければならない。そしてそれは誰かの問題という以上にイザヤも含むすべての民の課題でした。滅びが迫っています。しかし、主はそんなイスラエルの罪を洗い清めるために、救い主を送り、また残りの者を残して、主の祝福の下にもう一度取り戻そうとしておられました。
そして、この章で、イザヤは主を讃え、またその救いに心から感謝しています。その賛美は「主よ、私はあなたに感謝します」と個人の感謝で始まります。「主こそ、私の力、私の歌。私の救い」と主をあがめるのです。私たちは確かに一人一人が主の御前に救いを必要としていますし、個人として主に信頼して、主の助けを経験するということがあります。しかし、この章の後半では「その日に、あなたがたは、言うであろう」と民全体の感謝と賛美へと広がっていきます。私たちは共に主をあがめるのです。