私たちは人を恐れます。人の評価を気にし、それに振り回されたりします。また人に危害を加えられないかとビクビクします。そして時に、人の顔色を見ながら生きたりします。確かに、人間の罪深さということを思うときに、私たちが何を恐れる以上に人を恐れるというのも当然のことです。しかし、人を恐れるあまりにその人に調子を合わせたり、言うべきことも言えなくなってしまうとしたら、それはとても残念なことですし、私たちのあるべき姿だとは言えません。
聖書は繰り返し、主を畏れることの大切さを語ります。それは神さまをこわがるということではなく、神を神としてあがめるということです。そしてそれは、主に信頼するということでもあります。私たちが神として崇めるお方は義なるお方であると共に、慈しみと憐れみに満ちたお方だからです。だからこのお方を畏れて生きる人は、高い所で安らかな歩みをすることができます。私たちは、究極的な平安の中を生きるのです。