人が最初に罪を犯した時から、人はやましいことがああると神から隠れ、また自分の罪を隠そうとしてきました。それは罪がまさに神に対する不信と裏表になっているからでしょう。つまり、罪を犯してもそれを隠そうとするのは、それが明らかになってしまったら、人からも、神からも、あきれられ、とんでもない人として断罪され、切り捨てられ、見捨てられてしまうと思っているのです。つまり、何があっても、私たちに向き合い続けてくださる神に信頼することができないのです。
しかし、どんなにつじつまを合わせ、外面をとりつくろうことができたとしても、罪を隠す者が栄えたまま終わることはありません。
告白して罪から離れることです。それは恥ずかしいかもしれませんし、また、少なくとも一時的に信用を失ってしまうことになるかもしれません。しかし、砕かれて主に近づく人を主は必ず憐れんでくださいます。私たちはこのお方の憐れみと真実にすがって生きるのです。