私たちは耳を与えられ、目を与えられています。そして耳も目も造られたのは主です。もちろん、耳が研ぎ澄まされている人もいれば、耳が遠くなって不自由している人もいることでしょう。歳をとると目もかすんできます。しかし、私たちが歩むために、主が私たちにこのようにすばらしい目や耳を与えてくださり、神が造ってくださったすばらしい世界を五感で楽しむことを許していてくださることを心から感謝したいと思います。
ただ、この「聞く耳」「見る目」というのは、単に聞こえる、見えるというだけではないでしょう。聞くべきことをきちんと聞き、見るべきものをきちんと見ることができるということです。主イエスも「耳のある者は聞きなさい」とおっしゃいました。耳があっても聞いていない、目があって見えるはずなのに、見るべきものを見ていないということが起こりえるからです。私たちは、主の語られる御声をきちんと聞き、また今も働いておられる主の御業をきちんと見る者でありたいと思います。