「主よ、あなたは私を調べ、私を知っておられます」とこの詩編の記者は語ります。主は私たちを「何もかも」知っておられますし、また私たちがどこに行っても、そこにおられます。主が何もかも知っておられるということを聞いて、私たちはどのような気持ちになるでしょうか。それは恐ろしいことでしょうか。
この詩編の記者は主が知っていてくださるということに平安を見い出しています。実際には、私たち自身も自分のことを良く知りません。しかし、主は私たちをよく知っていてくださいます。
そもそも主が私たちを母の胎内にあって形作ってくださったのです。主は私たちの創造主です。ここで詩編の記者は、「畏れ多いほどに、驚くべきものに」造り上げてくださったと言います。主は私たちをご自身の傑作として造ってくださいました。そして今も私たちに関心を持ち、私たちを知り尽くしていてくださるのです。