この詩編においては、主の宮で夜通し働いている人たちに心を向けています。彼らは主の僕であり、主に仕える人たちでした。もちろん、彼らにとっては、それが仕事だったのでしょう。しかし、彼らの存在なしに、遠くから礼拝にやってきた者たちが礼拝をささげることは難しくなってしまったでしょう。ですから、この詩編の記者は、主の家に立つ人が夜通し働いているのを当たり前だとは言いません。かえって、彼らのために祈り、声をあげます。彼らが主をたたえ、喜びをもってその業にあたることができるようにと求めるのです。また神殿で礼拝される主が、夜通し主に仕える人たちを祝福してくださるようにと求めるのです。
今もそうです。主のために教会や教団で働いている人たちのため、また世界中でいろいろな形で福音を伝え、証ししている働き人たちのために、私たちは祝福を祈りたいと思います。