この111編と112編はヘブル語のアルファベット詩になっています。各行の最初がヘブル語のアルファベットで始まっています。そのような技巧を使うことによって、イスラエルの人々は主をたたえる歌を覚え、また手渡していったのです。この詩編の中で作者は主に感謝をささげ、主の偉大で、奇しい御業をたたえています。主は恵みと憐れみに満ち、真実なお方です。主のまことと正しさにすがっていったら間違いはありません。
この詩編の記者は、この詩編の最後に、「主を畏れることは知恵の初め」と語ります。箴言の中にもある言葉でもあります。「畏れる」とは、ビクビクして怖がるということではありません。あがめるべきお方をあがめるということです。私たちの歩みの中には、私たちを不安にさせるようなものもたくさんあるでしょう。私たちはこれから起こってくるかもしれない災難を思いながら恐れます。また私たちを恐れさせるような敵や病もあるかもしれません。しかし、本当は主がともにいてくださったらそれらは恐れるに足りません。恐れるべき主をあがめ、仰ぐことが大切なのです。