この詩編一一〇編は、やがて神が遣わしてくださるメシアについて語った詩編です。神さまは私たちのために救い主を送って下さる、そのメシヤは王であり、祭司なのだと語ります。私たちはまさにここで語られている救い主がイエスさまのことであることを知っています。主イエスもこの詩編を引用してダビデの子孫として生まれる救い主が、単にダビデの末裔というのではなく、ダビデによって「私の主」と呼ばれ、主としてあがめられていると指摘し、新約時代に神が送られる救い主は、ダビデの主でもあるのだと宣言されたのでした。
またヘブライ人への手紙の著者は、救い主が旧約聖書において「メルキゼデクに連なるとこしえの祭司」と呼ばれていることを指摘し、この救い主が、アロンの子孫ではなく、創世記に出てくるメルゼデクに連なる大祭司として、私たちのために祭司としてのつとめを担い、私たちのためにあがないと清めの業を全うし、私たちのためにとりなしていてくださると語ります。