イスラエルの歩みには多くの苦難がありました。それは苦難や危機的な状況の中で、真実であられる主に信頼することを学ぶようにという全能の神の知恵と意図の中で経験させられたものもあったでしょうけれど、同時にその多くは、彼らが主に背いたたために自らの身に招いてしまったものでした。そのようなイスラエルの歩みということから言うと、イスラエルの民は滅ぼされ、歴史の中から姿を消してしまっても仕方がなかったのかもしれません。
しかし、そのような中でも、民は主に祈りました。この詩編の中で繰り返されている言葉が二つあります。一つは「苦難の中で主に叫ぶと主は彼らを苦しみから助け出した」という言葉であり、もう一つは「主に感謝せよ。その慈しみと人の子らになされた奇しき業のゆえに」という言葉です。主はどこまでも憐れみ深いお方だったのです。私たちは助けを叫び求め、そして救ってくださった主に感謝を献げる、そのような歩みを積み重ねていくのです。