この詩編は一〇五編の続きとも言えます。一〇五編では主がイスラエルの民をエジプトから救い出されたところまでが語られましたが、この一〇六編ではエジプトを出たイスラエルの民の歩みを振り返り、主の憐れみを求めています。
主の奇しい御業、その力強い救いを経験したイスラエルの民でしたが、その後の歩みは主の業を忘れ去り、その計らいを待たず、神を試みることの連続でした。せっかく主に律法を与えられながら、金の小牛を拝み、また主が進むように命じられた時にも、エジプトに戻ろうとします。カナンの地に入ってからも、彼らは主に背き続け、ついに国々に散らされてしまったのでした。
しかし、この詩編の記者は、そのような中にあっても主の憐れみと、その慈しみにすがります。深い悔い改めの中で、彼はどこまでもその契約に真実でいてくださる主にすがるのです。