この詩編の記者は「主は王となられた」とこの詩編を始めます。イスラエルにおいては主を王としてあがめる信仰がありました。ただ実際にはそのイスラエルも目に見える王を求め、人間としての王に、戦いの先頭に立って出て行き、イスラエルを守り、勝利を与えてくれることを期待しました。しかし、ここでこの詩編の記者は、主が全地を治めるお方として立たれる姿を見ています。地には多くの力のある王がいます。しかし、どんな王にまさって、主は王です。この王なる主は、正義と公正をもって世を治められます。正義とはまっすぐということであり、曲がったところがない姿を表しています。そして、公正とは正しい裁きが行われることを示しています。
そして、この主なる王の支配の下に生きる人は、主を愛し、忠実に歩んでいきます。その人は正しく、その心はまっすぐです。そして、その人には光が照らし、その歩みには喜びが満ち溢れます。主はそのような歩みを私たちに備えてくださっているのです。