聖書は「多くの神々が実際には存在するのだけれども、聖書にある世界を創造された神が最高の神だ」と教えているのではありません。そもそも神はただお一人です。しかし、神として礼拝されているものは多くあるでしょう。ただ、それは聖書が言うところの神ではありません。この詩編の中では、主が世界の神々に対して、まるで皮肉をいうように語るのです。つまり、そういった偽りの神々は、正しい裁きをすることも、弱い者・貧しい者を救うことも、助け出すこともできません。そもそも、彼らは何も知りませんし、何も悟っていません。そういった神々はやがては滅ぼされていくのです。
そして詩編の記者は、主なる神に対して、「立ち上がり、地を裁いてください」と求めます。聖書の神はただイスラエルだけの神ではありません。すべての国民はこの方のものです。確かに旧約聖書の時代には主は、イスラエルの歴史の中にご自身を現されましたが、それはイスラエルを通してすべての国民が主が神であることを知って、主をあがめるためだったのです。