詩編80編

万軍の神、主よ、私たちを元に返し
御顔を輝かせてください。
その時、私たちは救われるでしょう。(20)

 この詩編の記者は救いを求めて主に祈っています。主が自分たちの牧者であるとしたら、当然、主は羊である自分たちのために救いの御手を伸ばしてくださるはずだからです。民は祈っていないわけではありません。主に向かって叫び、泣きながらそのあわれみと救いを求めています。御利益宗教的な信仰を持って歩んでいる人たちでしたら、ここで信じる神を乗り換えるところなのかもしれません。しかし、イスラエルの民は深い悔い改めの中で、なおも「私たちはあなたを離れません」と告白し、主を見上げるのです。
 この詩編の中には冒頭の聖句が折り返しのように三度繰り返されています。おそらく、イスラエルの民は祭司や指導者たちがこの詩編を読む中で、折り返し部を共に声を合わせて祈ったのでしょう。
 「御顔を輝かせてください」と彼らは祈ります。主が御顔を向け、その輝きで照らしてくださること・・・それはまさに主のいつくしみの中に守られていることを意味していたのです。