この詩編の記者は大きな苦しみの中にあります。この作者をあざけり、あしざまに言う人たちがいます。彼は主に対し、また神殿に対して熱心です。しかし、その熱心さがまた敵対者たちのそしりにつながっています。彼は苦しみ、悩み、また病んでいます。自分に対して悪意をもって近づいてくる人たちを呪おうというのではありませんし、自分を正当化し、他者を断罪しようというのでもありません。彼は、自分自身の愚かさや罪深さも自覚しています。けれども、作者は主に向かって叫ぶのです。
弟子たちは、主イエスが宮きよめをなさったときに、この詩編の言葉を思い起こしました。普段は柔和で紳士的である主イエスが怒り狂うようにして、神殿で商売をする人たちを追い散らされたからです。私たちは人に調子を合わせ、問題を起こさないことだけに終始してはいけないでしょう。ある人たちとはぶつかることになったとしても、怒るべき時もあるからです。