この詩編の作者は神に拒まれているように感じています。戦いは厳しく、時に敵が勝ち誇っていたりします。神は自分たちに怒っておられるのでしょうか。主のお約束はどうなったのでしょうか。なぜ敵は高ぶり、自分たちは辱められているのでしょうか。まるで主が共におられないかのように感じてしまうような現実があります。
しかし、この詩編の記者はそのような危機の中にあっても、人に頼り、人に助けを求めるのではなく、なお主にすがります。自分たちは敵に敗れ、散らされているように見えたとしても、主は自分たちを再び集め、もう一度隊勢を整えて、敵に向かわせてくださる。自分たちの中心にあるのは一つの旗。主がその旗をもって自分たちを進ませてくださる。
おそらくこの詩編の背後にあるのは出エジプト記十七章にある「主はわが旗」という出来事です。主を旗印とし、主を中心として歩ませていただきたいと思います。