詩編47編

神は国々の王となられた。
神は聖なる王座に着いておられる。(9)

 この詩編においては、神のことを王としてあがめています。そもそもイスラエルにおいては、主が王として治められるという考え方がありました。イスラエルの歴史の中で最初に王としてサウルが立てられたとき、それに関わった指導者サムエルは大きな危機感を感じていました。それは、民が王が欲しいと求めた時、民の中に、王様さえいてくれたら、他の国々のように自分たちの国は安全だし、強くなることができる、という期待感があるのを見たからです。イスラエルは目に見える王に期待するのではなく、主に信頼し、主に期待すべきでした。
 さて、この詩編では主なる神を王として讃えています。そして主はイスラエルの王であるだけでなく、全地の王、国々の王だと宣言されています。主は世界を造られた王の王、主の主です。単にイスラエルの主であるだけではありません。主はイスラエルを選び、イスラエルを通してご自身の力とご真実を世界中の民に知らせようとされたのです。主は私たちの王でもあります。このお方を心から賛美し、喜びをもって仕えましょう。