四二編と四三編はもともとは一つの詩編だったのではないかと言われています。同じ言葉が繰り返されています。おそらく礼拝や会堂で集まって献げる祈り中で、リーダーが聖書を読むと共に会衆が繰り返しの部分を声をそろえて告白したのでしょう。
この作者は敵の手によって苦しめられ、深い嘆きの中に置かれています。そして彼の苦しみは、単に自分が多くの困難の中に置かれているというだけでなく、神に祈っても答えていただけない、全能の神、創造者であり、絶対者である神を信じているのに、神が自分たちを拒まれているように感じていることから来ています。自分たちは、神から捨てられ、拒まれているのでしょうか。神はどうして敵のあざけりをそのままにしておられるのでしょうか。
しかし、この作者は自分の喜びであり、喜びの源泉である主を見上げます。そしてもう一度、主に対する信頼を取り戻していくのです。