この詩編の記者はとても苦しい中に置かれています。神にすがって祈り、叫ぶのですが、神は沈黙していて答えてくださいません。人々は苦しみの中にあって、彼を嘲ります。彼は体にも弱さを抱え、ボロボロになっています。敵は彼を囲み、彼に襲いかかろうとしています。まさにこの詩編の前半はただただ詩編の作者の嘆きです。
しかし、この詩編の後半は嘆きから賛美へと変わっています。その転機になるのが、23節です。ここには詩編の作者の賛美の誓いが記されています。主に目を向け、賛美を始めたところから事態が動いていくのです。
この詩編は同時に、主イエスの十字架の苦しみを現す預言でもあるとされています。もちろん、この詩人自身が大きな苦しみの中にあったのでしょう。しかし、同時に、彼は知らないうちに、やがて来られるメシアの受難を先取りするようにして苦しみ悩んだのでした。そしてこの詩編の記者も経験したように、主イエスの苦しみも苦しみでは終わりませんでした。