この詩編の記者は王のために祈りをささげています。王は神に立てられて、国を治める働きをするのですが、その王が正しく国を治めることができるように、苦難の日にも王が支えられるように祈っていてくれる人たちがいるということは、王にとって何と心強いことでしょうか。そして祈る中で、この詩編の記者は、確かに主が油注がれた王なるお方を救ってくださるということを信じ、確信して立ち上がるのです。
多くの国々では、王たちはその軍備を誇りました。そこに自分たちの安心の根拠を置きました。どれだけの馬を持ち、また戦車を持っているかが王たちに自信を与え、国の民に安心を与えました。しかし、イスラエルは必ずしも、そのような強大な武力を持っていたわけではありません。イスラエルにおいては王も、その民も、その平安の土台は主の名にありました。主がいてくださるということこそ確信の源であり、誇りだったのです。