詩編17編

私は義にあって御顔を仰ぎ
目覚めてあなたの姿に満ち足りるでしょう。(15)

 この詩編の記者はとても厳しい状況の中に置かれています。彼は正しい生き方をしています。それなのに、彼の身に困難が及び、悪しき者たちは勝ち誇り、笑いながら彼を嘲っています。そのような中で、彼は主を仰ぎ、正しい裁きを求めています。
 私たちの地上の歩みにおいては、時に正しい者が苦しみ、悪しき者が栄えているように見えることがあります。しかし、主は公平な方、正しい裁きを行って下さる方です。
 もちろん、主は私たちの地上の歩みにおいても正しい者に報いてくださいます。しかし、たとい私たちの目に見えるところで、どんなに正しく歩むことが損に思えるような現実があったとしても、主は正しいお方です。主にすがって生きることは、どんな犠牲を払ったとしても、犠牲どころではない、もったいないほど大きな祝福なのです。私たちは主の御顔を仰ぎ、その御姿を見ながら歩むことを許されているからです。