詩編15編

主よ、誰があなたの幕屋にとどまり
聖なる山に宿ることができるのでしょうか。
それは、全き道を歩み、義を行い
心の中で真実を語る者。(1~2)

 「あなたの幕屋」とは荒野を旅していたイスラエルの民に神が命じて作らせた礼拝の場であり、神の臨在の場でした。聖なる山とはエルサレムのことです。そこには神を礼拝する神殿がありました。また「山」はイスラエルの民が律法をいただき、神と契約を結んだシナイ山をも連想させます。ここで、この詩編の記者は、主の臨在の元にとどまって生きることの幸いを思っています。
 ではどのような人が主の臨在の中に生きることができるのでしょうか。それは正しい歩みをする人です。その行いが曲がっておらず、真っ直ぐに主に従う人です。そしてそれは外側だけそれらしく見せているということではなく、その心が真実な人です。
 もちろん、これは私たちの行いによって救われるということを言っているのではありません。主を信じ、主に頼って生きるとは、主との正しい関係の中に生きるということであり、当然、それにふさわしい生き方を伴うのです。