人生の苦難の問題を人間はずっと考えてきました。何か思いがけない災難に見舞われたり、災いと思われることが続くと、私たちは何かのたたりではないかと不安になります。誰か、または自分を越えた大きな力を持つ何者かを正しく扱わなかったために、たたり、または呪いがあるのだと考えて、そのようなたたりをもたらす霊的な存在をなだめようとします。または神に従わなかった罰を受けているのだと考えて、自分を責めるのです。
しかし、ここでエリフは苦難の意味についてもう一つの提案をしています。神の恵みとしての苦難ということです。もちろん、苦難のただ中にいるときには、今のこの苦しみが恵みだとは到底思えないでしょう。しかし、神がその苦難を与えられるのは、その苦しみによって救いをもたらすためだというのです。それはまた苦難の教育的な意義と言ったりもします。その苦難を通して、私たちの耳を開き、またそのような逆境と思われることを通してでなければ学ぶことができないことを、学ばせてくださるというのです。そしてまさに主はヨブの苦難を通して彼にまたご自身を示そうとしておられました。