確かにヨブの苦しみは、ヨブの罪に対する裁きではなかったのかもしれません。その意味では、ヨブは罪深かったために当然の報いを受けていると断罪した三人の友人たちはこの世における苦難の意味の理解に関してあまりにも単純で短絡的すぎたのだと思います。
しかし、もしヨブが自分の苦しみについて、自分は神から不当な扱いを受けている」とか「神は全く公正ではない」と神を批判するとしたら、ヨブもその友人たちと同じ落とし穴に落ちそうになっていると言えるのかもしれません。神に従って正しい歩みをしたら、神は自分を祝福し、この地上にあっても自分の正しさに見合う報いを与えるべきだ。そうでない神のやり方は間違っている、と主張することにもつながりかねないからです。
自分の思い通りにいかなかったとしても、主に信頼して生きる・・・ヨブは最初、そのように生きていました。けれども、友人たちとやりとりし、「あなたは間違っている」と言われ続けていく中で、自己の正当性を主張し、まるで神が不当であるかのような思いになってしまっていたのでしょう。