ヨブの友人たちは、ヨブに望んだ恐ろしい災いを見て、ヨブはよほど主の前に悪いことを行ってきたのだろうと断罪しました。しかし、ヨブには全く身に覚えがありません。かえってヨブは誰よりも誠実に歩んできました。実際、ヨブ記の記者はヨブは神の認める正しい人物だったと言います。
ヨブは自分が罪を犯しているのでしたら、神に裁かれても全く文句はなかったでしょう。もし、自分がどのような罪状で裁かれているのか、告訴状があるのでしたら、ヨブは見たいと願っています。今自分に臨んでいる災いが自分の罪に対する報いであるのなら、何が自分の罪なのか、ヨブは知りたいのです。
ヨブは「ああ、私の言葉を聞いてくれる者がいればよいのだが」と叫びます。ヨブの友人たちはヨブの言葉を聞いていましたが、ヨブの求めているのはそういう意味ではありません。ヨブの叫びを聞いて、ヨブに真摯に向き合ってくれる存在をヨブは求めています。そして、主はずっとヨブの言葉を聞いておられたのでした。