ヨブ24章

彼らはしばらくの間、高くされるが、やがて姿を消す。彼らは低くされ、すべての者と同じように刈り集められ麦の穂先のようにしおれてしまう。(24)

 ヨブは決して、神は人間が何をしても見ておられないし、人が正しいことをしても悪いことをしていても何も変わりはないと言おうとしているのではありません。ある意味で、その生涯の一部を切り取った時には、正しい者が災難を経験し、悪い者たちが誇り高ぶり、繁栄を極めているように見えることもあるのです。
 ですからその意味では、一人の人の生涯の一部分から、その人が神に愛され祝福されているかどうかを判断することには注意しなければなりません。ヨブは自分に臨んでいる困難が自分が罪人であることのしるし、自分が神に罪深い者として断罪されているしるしと判断されることには大きく抵抗しています。
 どんなに豊かでまたこの世の祝福に満ち溢れていたとしても、最後がしおれてしまうという生き方があります。主は私たちに目に見える豊かさをも与えることがおできになります。しかし、人間的な繁栄にしか目が向いていないとしたらとても悲しいことです。